「2011年度 少年少女ヒロシマの旅」を開催しました

<1日目(3月29日)>
高崎駅を8:15に集合した元気いっぱいの子どもたちは、8:55の新幹線に乗りいざ広島へ出発しました。
広島駅には13:59分に到着。
路面電車で「原爆ドーム前」駅へ向かい下車すると目の前に原爆ドームがあり、近代的なビルが多い町並みと違い、そこだけの時間が止まっているかのような存在感に圧倒されました。
原爆ドームを後にして子どもたちと原爆資料館を見学し被爆証言者による講話を聞きました。講話では、今から67年前にたった一発の原子爆弾により家族・友人・知人を奪われ孤児となった話、そこからの悲しみ苦しみを乗り越え今日の生活が送れるまでになった辛くリアルな話をいただきまいた。

<2日目(3月30日)>
フィールドワーク。碑めぐりガイドの会の平岡さんと平和記念公園内にある碑を巡り、建てられた経過などを案内していただきました。「原爆の子の像」では組合員に平和を願って一つ一つ折って頂いた千羽鶴を捧げました。碑めぐりの後には、被爆した建物(旧日本銀行広島支店と袋町小学校)を見学し爆風の破壊力を目の当たりに。午後は爆心地を離れ、路面電車に乗り江波山駅で下車し、徒歩20分位で江波山気象館に到着。当時変形した窓枠もそのまま残されており、あらためて爆風の力に驚かされました。

 

<3日目(3月31日)>
朝は予定より早く出発し、平和記念公園で8:15に鳴る鐘の音を2日間で得た話より1945年8月6日の朝を想像しながら聞きました。その後、もう一度原爆資料館へ行き、広島へ来てから見聞きし学んだ事を振り返るため1時間ほど見学して広島駅へ向かいました。旅の終わりには広島駅構内で家族へお土産を買い新幹線で群馬へ帰ってきました。

広島の旅に参加して、「今の私たちは不自由なく生活を送る事ができ、平和に対する意識が薄れているのでは」と実感させられました。また、旅の参加には多くの方にご協力いただき、何事もなく貴重な旅が出来た事に感謝いたします。ありがとうございました。

<参加した子供達の感想文より>一部抜粋

Gくん
・旧日本銀行広島支店に行って綺麗な壁を良く見ると、爆風で飛び散ったガラスが壁に刺さった痕が沢山あり、よく見るとまだガラスが残っている所もありました。僕は壁に傷が出来ているところが一番強く印象に残りました。

Sくん
・一番印象に残った場所は「原爆の子の像」の周りにあった千羽鶴の数です。資料館にある焼け焦げた三輪車や石段に座っていた人影も、目に焼きついて今でもはっきり覚えています。講話では火傷したところには薬の変わりに食用油を塗りそれが無い時は機械油を縫って包帯を巻いたと聞き驚きました。

Nさん
・本当に原爆にあった人の話を聞いていると当時の事を体験していないのに体験したような感覚になりました。また、原爆は多くの人の命を奪った事がわかり二度と落とされたくないと思いました。戦争は良くないと思ってはいたけどこの旅でもっと強く思いました。

Yさん
・フィールドワークの中で印象に残ったのは「平和の灯」です。両手で灯を掲げている事をイメージして作られています。その灯は「世界中から核兵器が廃絶されたら消される」そうです。私はその灯が一日でも早く消えて欲しいと心から思いました。

Yさん
・私は広島に来て原爆ドームを見た時に、コンクリートまで壊してしまう程すごい爆風だと知りました。被爆した建物を綺麗にして今も使っていた事にびっくりしました。

Tさん
・始めてみた原爆ドームは戦争の恐ろしさを物語っていました。資料館では焦げた三輪車や学生の服、瓦など展示してありびっくりしました。被爆者の証言では、戦争を体験していないのに話を聞いただけで戦争を体験したかのように思えました。

T君
・広島に落とされた原子爆弾は未完成だと言います。完成された爆弾を持っている国があると思うととても恐ろしく思います。広島が原爆の怖さを教えてくれました。僕はこの事を沢山の人に知ってもらいこの世界から核兵器と戦争が無くなる事を祈っています。

【旅の収支報告】
収入 640,818円
※うち組合員カンパによる金額224,700円(2010年度分)
支出 540,667円
繰越 100,141円


カンパにご協力いただき誠にありがとうございました。

パルシステム群馬では、今後も平和を語り継ぐ活動をすすめてまいります。

「少年少女ヒロシマの旅」出発前に記念撮影

被爆体験談は心に残ります

広島に着いて原爆ドームの前で

原爆の子の像では組合員から預かった千羽鶴を捧げました。

フィールドワークでは平和公園の碑めぐりを沢山学びました

江波山気象館の前で記念撮影

早起きして朝8:15の鐘の音を聞きました

原爆ドームの姿は目に焼きつきました